ブログ
初心忘るべからず再考
初心忘るべからず の原典
『花鏡』(かきょう)は世阿弥(ぜあみ:能の大家)が書いた能芸論書です。そのなかの一説に有名な「初心忘るべからず」があります。
これは一般的に、「最初に始めた時の気持ちを大切にしなさい」と現代語に訳されています。
しかし原文は、「是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」です。意味は、
未熟だったときの芸も忘れてはいけない。また芸が上達しても、その時々にふさわしい芸に挑むということは、その段階においては常に初心者であり、やはり未熟さ、つたなさがある。さらに年齢を重ねたからこそ、わきまえるべきことがある。そのことを忘れてはならない。です。
これは、経営にも当てはまりますね。
また、ドラッカーは、「目標を達成したときは、次の準備に取り掛かるとき」「流すような仕事をしてはいけない」と言っています。
さらに、『徒然草』(吉田兼好著)の中の「高名の木登り」でも、「高いところの作業では十分気をつけるが、降りてくるとき、もう少しというところになると気が緩んでケガをしてしまうことが多い」と言っています。
厳しい状況を抜け出して、「ホッとする」「緊張がゆるむ」のは、十分理解できます。
しかし、この段階で気を緩めるのは、「将来の業績不振の芽」を育てているようなものです。
驕りと慢心
経営者の大敵は、競争相手など外部にいるのではなく、自分の中にいます。と言うことは、コントロールが可能と言うことです。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」からです。
なお、驕(おご)りとは、勢いにまかせて行動すること。得意になっていばること。わがままなふるまい。思いあがりです。
一方の慢心(まんしん)とは、いい気になること、おごり高ぶることです。
「ウサギとカメ」の寓話にもあるように、絶え間ない進歩が目標達成に導いてくれます。
もっとも、現実の世界では、速いウサギのような人が努力してさらに速くなり、遅いカメのような人が怠けて遅いままでいるケースがほとんどですが。。。
経営者の仕事なのに惰性になっていないか?
たとえば、ニッチ先生が主宰している【藤屋式ニッチ戦略塾】。多くの塾生さんが何らかの課題を抱え、その解消のために入塾してきます。
そして、その解決のために課題への取り組みも真剣そのもので、提出も早く、コメントへの取り組みも必死さが伝わってきます。
しかし、中には、努力が実って当面の課題が解消した段階で、一安心したのか、欠席がちになったり、課題の提出が遅くなったり、課題を「こなす」ようになったりしる人もいます。
経営者は、苦境から脱したり、物事が順調に進んだり、高い目標を達成できたりすると、「私ってすごい!」と勘違いするときがあります。
苦境の期間が長く、厳しければ厳しいほど、解放感に浸りたいからです。
それほど、経営はストレスが大きい仕事だと言えます。
しかし、選んだにしろ、選ばされたにせよ、あなたの人生です。
まっとうする以外ありません。
座右の銘を持つ
驕りや慢心にならないように、周囲から指摘してもらう状況をつくっておくことも重要ですが、自らを律し、座右の銘(戒める仕組み)をつくっておくことです。ニッチ先生においての仕組みが「ドラッカーの定期的な再読」です。
ちなみに、ドラッカーは経営の原理・原則を教えてくれるだけでなく、生き方まで教えてくれます。
もっともニッチ先生は、驕りや慢心になれるほどの状況ではないので、驕ったり慢心になったりする心配はありません。
それでも、ときどき勘違いすることはあります。
そして、「俺ってすごい!」と思うのですが、すぐそのあとには、「僕ってバカだ!」の状態が必ずきます。
それで、妙にバランスが取れているようです(苦笑
気が緩みそうになったときは、世阿弥の「是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」
ドラッカーの「目標を達成したときはお祝いをする時ではなく、次の準備に取りかかるとき」「流すような仕事をしてはいけない」
吉田兼好の「高いところの作業では十分気をつけるが、降りてくるとき、もう少しというところになると気が緩んでケガをしてしまうことが多い」を思い出してください。
経営者は現役でいる限り、常に「初心忘るべからず」「目標を達成したときは、次の準備に取り掛かるとき」の精神で、仕事に取り組むべき存在だと再認識しましょう。
2021/11/30