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藤屋伸二のプロフィール

経営コンサルタント・塾長・講師としての自己紹介
藤屋伸二
藤屋ニッチ戦略研究所株式会社 代表取締役

お客様に私を知っていただくために、失敗を含めて略歴としてまとめてみました。
 

学生時代

  • 第一志望の公立高校を受験し不合格。滑り止めの私立高校に合格。
    友人は全員、偏差値の高い高校に進学したため、劣等感にさいなまれた3年間でした。
 
  • 大学は地元の私立大学(九州・四国・岡山以西では偏差値No.1。
    でも、関東・関西の有名校の足元にも及ばず)。
    その大学の3学部を受験し、偏差値が最も低い商学部経営学科に合格。
    現役での合格を喜んだのですが、3年の進級時に留年が決まり、5年かけて卒業。
    現役合格で最低限の目標をクリアできて、少し自信を取り戻せたのですが、留年が決まったときは落ち込みました。
    そして、同級生が卒業してしまった5年目は、劣等感の塊に逆戻りしました。
 

社会人になって

  • 就職活動では、16社受験し、合格した大阪証券取引所の二部の会社に就職。
    商社に就職したつもりが、リース部門に配属。
    社風が合わず、新入社員研修から転職を考え出す。
    もっと真剣に就職活動を知れば良かったと後悔しました。
 
  • 社会人になった年の12月にカード会社に転職。
    しかし、ノンバンクという金利商売が価値観に合わず、仕事に身が入らないまま、8年間近く過ごす。
    手当たり次第に勉強したのですが、目的・目標のない場当たり的な勉強ばかりで、勉強が活かされませんでした。
 
  • 32歳のときのある日の夜、長男の寝顔を見ていて、「今のままでは、この子が成長したときに軽蔑される父親にしかならない」と思い一念発起し、中小企業診断士の受験勉強を始める。
    一次試験(穴埋め式)を独学で受験し、一回で合格したことで勘違いし、記述式の二次試験の受験も独学で臨んで5回不合格。
    6回目は今回を最後にしようと、通信教育を受けたことで、的外れの勉強をしていたことを知り、勉強の仕方を変更。
    すぐに合格圏内に入り、その年に合格しました。でも、中小企業診断士試験に6回もチャレンジして合格した私は希少価値(超ニッチ)だと思います。
    これで劣等感の大部分から解放されました。
  • 勤めていた会社には、中小企業診断士が一人もいなかったので、優遇されると思っていたが、まったく評価してもらえず。
    翌年、地方への転勤辞令を機に40歳を前に退職して、中小企業診断士として創業。
    その年に社会保険労務士を受験して合格。
    視界が開けました。
 

開業してから

  • 独立した翌々年の1998年に社会人枠で大学院に入り経営学を学び直すことにした。
    大学院の修士論文のテーマに、「マネジメントの父」と呼ばれるピーター・ドラッカーのマネジメントを選んで集中的に学ぶ。
    以降、315回以上、ドラッカーの著書を精読して、自分なりにドラッカーを解釈して体系化した藤屋式ニッチトップ戦略を、中小企業を対象にしたコンサルティング、経営塾、講演、執筆などに活用できるようになりました。
 
  • 開業以来、6年間は売上が順調に推移。
    業績も順調なことから有頂天になり、やるべきことをやらなくなった7年目は売上が前年比83.5%に減少、8年目はさらに51.9%に減少。売上高は6年目の43.46%にまで減少しました。
    このような状態で、コンサルタントとして、あるいは、講師としてお客様の前でドラッカー経営について講義するときは、針の筵(むしろ)に座らせられるようなものでした。 なぜならば、「偉そうに話しているあなたはどうなんだ?」と質問されたら、何と答えてもウソになるからです。 8年目の途中で現実を直視したことから、ドラッカー経営論の基本と原則を自社に適用して、9年目には前年比175.7%にV字回復を果たすことができました。
    ドラッカー経営論の有効性を身を持って体験した苦い経験でした。
 
  • 執筆活動では、8年間で8つの出版企画を延べ185社に送り続けて、ドラッカーブームが来る前年の2008年にようやく採用される。
    2009年に出した2冊目の『図解で学ぶドラッカー入門』が2万部のプチヒットになり、2009年暮れからのドラッカーブームに乗って、76,700部まで売上げる。
    この本が出版社に高評価され、以降、執筆や監修依頼が途切れず、現在では、著書・監修書・共著の合計が54冊、合計発行部数261万部超に。
    ドラッカー関連だけでも44冊、合計発行部数225万部超になっている。
    この5月には、53冊目となる『ドラッカーに学ぶ 中小モノづくり企業のニッチトップ戦略』(仮題)を日経BP社より発行予定です。
 

挫折や失敗から学んだもの

以上のような挫折や失敗の原因は、すべて自分よがりの思い込みでした。
つまり、出題者の意図、人事担当者や面接官、編集者のニーズに応えていなかったのです。
要するに、マーケティング思考ができなかったのです。

マーケティングの父と呼ばれているフィリップ・コトラーは、「私はマーケティングの父と呼ばれている。私がマーケティングの父ならば、ドラッカーはマーケティングの祖父だ」と言っています。
そのドラッカーの思考法を徹底して学んだことで、マーケティング思考も修得することができるようになりました。

それが、現在のコンサルタント、ニッチトップ戦略塾の塾長、執筆活動に活かされています。
コンサルタントや塾長として顧客や塾生さんの難題と向き合っても、「何とかなる、何とかする」という自信につながっているからです。
 

そして今

現在は、藤屋式ニッチトップ戦略に特化したコンサルティング、藤屋式ニッチトップ戦略塾塾長、講演講師、執筆活動を複合的に行っています。
そのコンセプトは、「ドラッカーで眠れる強みを覚醒! 粗利益率向上・新たな顧客層の開拓を支援する」です。
 

実績

藤屋式ニッチトップ戦略塾の塾長として

  • 生産者の商品単価8万円~12万円を、40万円前後までの引き上げ支援。
  • 売上高7,000千万円、粗利益率18%のドックフードの会社を、売上高18,000万円、粗利益率28%へ大幅アップを支援。
  • 売上高22億円の食品加工業の売上高を、粗利益率を落とさずに46億円まで伸長する支援。
 
  • 藤屋ニッチトップ戦略塾では、90%を超える塾生企業が粗利益率向上・新たな顧客層の開拓を続けている。
    ホームページビルダーの平均単価を18万円から70万円に大幅アップ。手間もクレームも激減に貢献、等々
 
  • 藤屋式ニッチトップ戦略塾の特徴は、1会場20人未満の少数の塾生さんを対象に、双方向の講義、課題シートの添削指導、例会での課題シートの発表など、一人ひとりの塾生さんに寄り添った指導をしている。
    それが、90%を超える塾生企業が粗利益率向上・新たな顧客層の開拓を続けている理由になっています。

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    経営コンサルタントとして

    • 数年間売上高10億円の壁を越えられなかった企業が、3年後に売上高15億円に伸長した仕組みづくりを支援。
    • 前期の赤字1億8千万円の改善支援を受注。当期の赤字が9千万円に縮小、翌期は2千万円の黒字化を支援。
    • 売上不振で倒産危機に陥った企業の月次売上を、6ヵ月で1.74倍してV字回復を支援。
    • 4店舗中1店舗が順調、2店舗が赤字、1店舗が閉店予定のサービス業のサービス眼入の開発で、2年間で売上高1.36倍に伸長支援。順調で売上が上限と思い込んでいた店舗の売上をさらに伸長。残り3店舗も黒字化、等々。
2025/02/14