藤屋伸二の自己紹介

プロローグ

ブログでは初めてのことですが、ここで、私(藤屋)の自己紹介を兼ねて、事業の変化を振り返ってみたいと思います。

私は変化することを嫌いません。成長が止まったもの、過去になろうとしているものにしがみつくという発想がないからです。

そもそも、「捨てたら、もったいない!」と思うようなビジネス・モデルを構築しているとも思っていません。ですから、より良いものが見つかると、すぐに切り替えることができます。

また、「現在のものを捨てても、何とかなるだろう」と楽観的に考える性格もあると思いますが、「既存のものは古くなる」「知識、市場、商品、サービス、流通経路など、体系的に廃棄せよ」と言うドラッカーの教えの影響も大きいと思っています。

ドラッカーの名著『現代の経営』に出会う

経営コンサルタントとして独立したのが1996年4月。1995年に中小企業診断士の資格を取得していました。また、翌年の1997年には社会保険労務士の試験にも合格しました。

しかし、そのレベルの知識では、従業員100名を超える創業社長を顧客にするようになロと、絶対的な能力が不足してきました。

そのため、1998年に大学院に入って、経営を基本的に学び直すことにしました。経営コンサルタントの仕事をしながら通える大学院は商学研究科(商学修士)しかなかったので、経営学研究科(経営学修士、MBA)の称号は得ることができませんでしたが、学んだ内容は経営学でした。

当初は、組織文化を学ぶつもりだったのですが、組織文化(という専門領域)だけを本格的に学んでも、経営が回せるわけではない(部分最適である)ことが、すぐに分かってきました。これは、戦略だけ、マーケティングだけ、イノベーションだけ、販促だけを学ぶ場合も同じです。いずれも、経営の一部に過ぎません。

「仕事に活かすために、経営全般を学べるテーマはないか」と、数カ月、模索した後に出会ったのが、ドラッカーの代表的な名著である『現代の経営』だったのです。本屋の棚から取り出して、「はじめに」を読んだときに、「探していたのは、これだ!」と心が震えたことを、今でも鮮明に覚えています。

それから『現代の経営』を、のめり込むようにして読み、よりドラッカー経営を理解するために、他のドラッカーの著書『経営者の条件』『創造する経営者』『イノベーションと企業家精神』などを、片っ端から徹底的に読み込んでいきました。
ただ読むだけではなく、代表的な著書は1冊をA4用紙10枚にまとめる。A3用紙1枚に図式化するなどで、理解を深めていきました。

この勉強法が功を奏し、ドラッカーのマネジメント理論が使えるようになり、上場企業のコンサルティング、継続的な管理者研修を受注することができるようになりました。

その頃は、経営戦略、経営計画、目標管理、人事評価制度、管理者研修、コンサルティング、経営相談など、ドラッカーが応用できる領域のものは、何でも受注していました。

また、それに必要な情報や知識は、常にスキルアップを心がけ、実行していました。
ドラッカーをベースにした「総合的なコンサルティング」は、福岡市という地方都市の特性を活かしたものであり、そのおかげで、売上高もグングン上がっていきました。

しかし、ドラッカーに関しては、あくまでも自分のスキルアップの手段に過ぎず、ドラッカーを「商品」として売ることはありませんでした。

浮かれて売上げが半分以下になる

売上げが急速に伸びたことで舞い上がったのだと思います。自分では変わっていないつもりでも、数字は正直です。

創業してから7年間、順調に伸びていた売上げが、8年目には前年比85%に下がり、9年目にはピーク(7年目)の46%にまで急降下しました。この時ほど、経営コンサルタントをやっていて、辛く、苦しい時期はありませんでした。

「何が辛い?」と言って、業績があがっていないコンサルタントが、経営者の前で、業績の上げ方を話さなければならないことほど、辛いことはありません。「偉そうに言っているけど、お前自身はどうなんだ?」と言われたら、どうしようと、いつも、オドオドしていました。

しかし、原因が分かれば対応は可能です。翌年の10年目には、ピークにまで戻すことはできませんでしたが、前年比170%にまで売上げを戻すことができました。

ドラッカーブームに乗る

ある時、知人であるベンチャー大学主宰者の栢野さんとの雑談で、「ドラッカーを100回読んだ」と言うと、彼が「ドラッカーを100回読んだ人間なんていないから、ビジネス系の出版社なら、本を出せるよ」と教えてくれました。

もともと、ブランディングのために「本を出したい」とは、思っていたのですが、ある学術系の出版社の編集者に、「無名のコンサルタントの本など誰が読むか」と言われたことから、ドラッカーでの出版は諦めていました。

それ以降、私にとって、ドラッカーはスキルアップの手段であり、それが「売り(ブランド)」になるとは、思ってもみませんでした。

それが、栢野さんから、「相談した出版社が違っていただけだ」ということに気づかせてもらったのです。

それから集中的に執筆に取り組み、試行錯誤を重ねたのち出版することができました。

なお、執筆活動に集中したのには理由がありました。どうせ本を出すなら、「ドラッカーの生誕100年」(2009年11月)のブームに乗りたいと思ったからです。著名な人の生誕100年は、その大小はわかりませんが、必ずブームが起こります。これは「すでに起こった未来」です。

私の場合、2008年9月に1冊目のドラッカーの解説本が出て、2009年5月に出した2冊目の本『図解で学ぶドラッカー入門』が年末までに2万部売れました。そこに同年12月に発売された『もしドラ』ブームが起こったのです。

つまり、ヨットの帆をあげて追い風を待っていたところに、神風が吹いたのでした。『もしドラ』の神風は予期せぬ成功でした。

この追い風に乗って出版を重ね、著書・監修書の累計は、2016年7月現在で、25数冊、206万部を超えるまでになっています。

そして、あがり症で、人前で話すのが苦手でしたが、講演やセミナーの講師、テレビやラジオ出演依頼があったときは、スケジュールが許すかぎり、積極的に出ていきました。これらは、すべて蓄積した「ドラッカーマネジメントの知識の用途開発」でした。

このような複合的な活動を続けたことで、「ドラッカーを日本で一番わかりやすく伝える男」という称号をもらい、今ではそれを、キャッチコピーとして使っています。

その結果、ドラッカーブームが去ったあとでも、ドラッカーを「売り」に事業を展開することができています。
とは言え、あがり症は続いており、初めての人たちの前で話すのは、今でも苦手意識が拭えません。そのため、2012年から会員制のドラッカー活用セミナーを始めました。

顔見知りになった人の前で話すのは平気なので、こちらは自分の強みであるドラッカーをベースにした「質問力」と「アドバイス力」と「分かりやすく伝える技術」を十分に発揮できています。

なお、2011年4月には、事務所を福岡から東京に移すことができました。これは、創業当時からの目標でした。

ちなみに、出版した本のうち5冊は、台湾、中国、韓国でも出版されており、ある面では海外展開もできています。

差別化を図るものは徹底

ドラッカーに取り組み出して18年が過ぎ、その間、ドラッカーの著書は250回を優に超える回数を読み込んでいます。

250回というと、「本当に!」と言われることがありますが、大学院では、修理論文のテーマを「ドラッカーの目標による経営の一考察」にしたので、徹底的に読み込んでおり、少なくとも、週1回ペースで読んでいました。その後も、「ドラッカーは、私にとっての基本プレー(基礎知識)」として位置づけており、反復練習として読んでいます。従って、この250回という数字は、控え目に言っているつもりです。

実際、今までの読書計画を回想してみると、とんでもない回数が浮かんできました。でも、この回数を公表すると、ウソっぽく感じるでしょうから、公表はしないことにしています:笑

会員制セミナーのFC展開

ドラッカーの知識を普及するため、「ドラッカーを普及したいなら、伝道のために弟子(後継者)を育成したらどうか」と多くの人にアドバイスされてきました。

しかし、そのたびに、「ドラッカーを十分に理解できていない人に、正しいドラッカーを広めることはできない」と答えて、自分一人で普及活動をやってきました。

しかし、主宰する【藤屋伸二のニッチ戦略塾】の塾生の一人である山地章夫さん(本社札幌市、ヤマチユナイテッドグループ社長)から貴重なアドバイスを頂きました。

彼の会社の一事業である『きたえるーむ』(機能回復型デイサービス、現在、直営、FCで100カ所を超えている)は、ある柔道整復師の手技が「売り」になっています。その人の手技を100%伝えることは不可能でも、マニュアルと教育訓練を充実させればFC展開することが可能で、かつ、成果を出しているというのです。

それまでの私は、「0」か「100」かで物事を考えていました。しかし、「私の60%~70%の知識を伝授できれば、中小企業の活性化に貢献できるようになる」と考えられるようになりました。

なお、同塾を開塾しているかぎり、毎月、塾長スキルアップ研修で、ドラッカーを学び続けてもらうことを必須条件にしています。これならば、いつの日か、私に追いつき、追い越してくれる塾長も出てくるでしょう。

このような考え方の変化から、私も中小企業にドラッカーのニッチ戦略を普及するための『ドラッカー経営実践塾』をFCで展開することにしました。私にとっては、間接的にドラッカーを普及するという意味でイノベーションになります。

余談ながら、FC展開に際して、まずは、主宰している【藤屋伸二のニッチ戦略塾】の塾生から応募を募り、少人数(7名)で塾長スキルアップ研修(7ヶ月)をスタートしました。この研修の修了者を『ニッチ戦略士』に認定し、【ドラッカー経営実践塾】の開催を認めることにしたのです。

そこで気づいたことですが、「塾長を育成するために教えることは、藤屋自身の講師力を高める最良の方法である」ということでした。

これは、塾長スキルアップ研修を受講している受講生も同じです。彼らも毎月、【藤屋伸二のニッチ戦略塾】でドラッカーのニッチ戦略を学んでいますが、教えるつもりで学ぶことで、これまで気づかなかったことに気づかされ続けていると言っています。

ドラッカーは、「人は、教えるときに最も学ぶ」と言っていますが、今では、「ドラッカーの普及」=「ドラッカー経営実践塾の塾長を育成すること」と考えるようになりました。

もちろん、引き続き、私も直接、中小企業の経営者を対象に、【藤屋伸二のニッチ戦略塾】や【藤屋伸二のマネジメント塾】、依頼されたセミナー講師や執筆活動などでドラッカー活用法の普及活動は続けていきます。

しかし、今の私には、「中小企業にドラッカーを普及する」という志を共有してくれる仲間ができ、普及活動も加速度的に広がっていく可能性が出てきました。

エピローグ

以上、これまでの私の事業展開を紹介してきましたが、基本となっているのは、徹底的なドラッカーの理論(知識)の修得です。これだけは積極的に取り組んで来ました。あとは、特別なニーズに応えたり、面倒くさいことを地道にやってきたりしただけです。

これらは商品力の強化ですが、販売力の強化である新事業のヒント、自分自身の強みさえも、すべて周りの人たちが教えてくれました。

これらの私の経験は、皆さんにも参考になると思い、かなり長くなりましたが、お伝えすることにしました。最後まで、お読みくださり、ありがとうございました。